安保に押し潰される我が国の財政

 小泉政権は国家財政の建て直しを一つの「改革」目標として掲げている。だが一方で、予算削減からアンタッチャブルとなっているものがある。すなわち、米軍の駐留経費である。改革の「痛み」は、米軍には及ばないのである。

 では、日米安保について、財政的な側面からみてみよう。
 平成7年に起きた、米軍兵士による少女暴行事件は、まだ記憶に新しいことであろう。この事件を契機として、米軍基地の整理・統合・縮小が課題となった。そこで、SACO(日米沖縄特別行動委員会)が設置されることとなる。

 だが、この「米軍基地の整理・統合・縮小」のための費用、約5000億円は、日本側の負担となっているのである。しかも、普天間基地の移転は、あくまで県内移転であり、沖縄全体からみれば、基地が縮小されるわけではない。これでは、基地撤去を願う沖縄県民にとっては、何の意味もないのである。そればかりか、老朽化した施設を、これに乗じて更新しようという目論見さえ垣間見える。

 その後、稲嶺県政が発足すると、日本政府は、沖縄関係予算5372億円を計上し、むしろ基地強化に動くことになる。その代償のつもりなのか、平成12年のサミット開催があった。

 米軍駐留費用の日本と他国との比較

 防衛施設庁と外務省が提出した、平成12年度の「衆議院予算委員会要求資料」によれば、日本政府が負担する在日米軍駐留関連費用は、平成12年度で6619億円に達している。さらにSACO関連の140億円を加えると、総額で6759億円となる。これをドル換算すれば、約50億ドルとなる。
 日本と同様、米軍が駐留している各国と比較してみよう。

 ●日本
  兵員 55,000人
  費用 50億ドル

 ●ドイツ
  兵員 80,000人
  費用 10億ドル

 ●韓国
  兵員 35,000人
  費用 7億5千万ドル

 日本だけが突出していることが、はっきりと分かるであろう。米兵一人あたりで、約1400万円もの費用がかけられているのである。アメリカにとっては、国内に置くよりも、ずっと安上がりで済むのである。そしてこれらの財源は全て、日本国民の血税なのだ。

 法的根拠を欠く「思いやり予算」

 日米安保条約や日米地位協定の条文では、米軍施設にかかる費用については、労務費を含め、米軍の負担とされている。にもかかわらず、昭和53年、金丸信の「思いつき」でスタートしたのである。

 当初は、年間62億円であった。だが、現在ではなんと2800億円に膨れ上がってしまった。

 この予算の使い道がまた、怒りを覚えずにはいられない。「施設整備費」の名目で、.軍事施設以外にも、住宅、育児施設、診療所、消防署、工場、遊戯施設などに充てられているのだ。さらには、対爆シェルターなどという、日本人ですら持ってない施設や、ゴルフ場、プール、そして、パーティー用の蝶ネクタイまでが、この予算で賄われている。

 これでは、米軍にとって、日本は「地上の楽園」である。アメリカに帰れといっても決して帰らず居座るであろう。

 アメリカのチェイニー元国防長官は、平成4年の下院軍事委員会で、こう発言している。

 「米軍が日本にいるのは、何も日本を防衛するためではない。日本は、米軍が必要とあればつねに出動できるための前方基地として使用できることである。しかも、日本は米軍駐留経費の75パーセントを負担してくれている。極東に駐留する米海軍は、アメリカ本土から出動するより安いコストで配備されるのである」このように、あからさまに本音を吐露しているにもかかわらず、日本側は、米国が日本を善意で守っているかの如き幻想を巻き散らしているのである。また、中国や韓国に対しては、日米安保を「ビンの蓋」に例え、日本が暴発しないための安全装置であるかのごとく説明している。こんな恥辱的な状態におかれたまま、今日の日本があるのである。しかも、不況にあえぐ中、血税を無駄にしてまで。

 たとえ民族意識が希薄な人間も、こんなことは許せないであろう。いわんや民族派においては、かかる屈辱的属国化の策動を許してはならないのだ。そのためには、一刻も早く、安保を破棄しなければならない。