日本経済団体連合会に対する抗議文を経団連会館にて手交

●平成21年3月23日(月)●
【日本経済団体連合会に対する抗議文を手交】

三月二十三日、
日本経済団体連合会に対する抗議文を経団連会館にて手交いたしました。



財界人諸君のモラル無き経営を糾す


財界人諸君に告ぐ。我々は三島由紀夫・森田必勝両烈士及び楯の会の意志を継承せんとする者である。
ここに、財界人諸君等に対し陳情申し上げる。

かえりみれば昭和五十二年三月三日、経団連会館に於いてYP体制打倒青年同盟が、
憂国の精神を抱き大企業の営利至上主義を糾弾すべく義挙に打って出たのである。
しかし、現在に於いても財界人諸君等はなんら反省する事もなく、弱者から搾取しつづけ、暴利を貪り続けているではないか。
一連の金融危機に際し諸君等は被害者面をし、家族ともいうべき従業員の首を無慈悲にも切って棄てたのである。
その一方で株主や経営者・役員諸君等は痛みを感ずる事もなく利益を吸い上げているのは何事か。
諸君等こそが当事者としての一翼を担っていた事を忘れてはならない。

グローバル化という名の米国化を推し進める事により、新自由主義経済の名の下に市場原理主義が罷り通り、
国際競争・規制緩和・民営化という力(財力)のある者の自由が保証され、国民(勤労者)の不自由体制が出来上がった挙句、
弱者は身ぐるみ剥がされ、搾取されつづけ、勤労者は安い賃金で企業に買い叩かれ、鞭打たれ、
奴隷のごとく扱われ、いらなくなれば切り棄てられる。
この様な構造が果たして国のために企業のため国民(勤労者)のためになるのか。
我々には甚だ疑問である。

モラル無き経営・不安定雇用・不安定収入の中では愛社精神は育まれることもなく、
勤労意欲の低下、鬱病の誘発・自殺者の増加・少子化問題の深刻化、
曳いては治安の悪化も懸念される事は明白であろう。
財界人諸君等は目先の利益のみを追求し、株価が上がった、下がったなどと一喜一憂しているが、
諸君等には知識はあろうが智慧が無さすぎるのではなかろうか。
本当に企業として「株を上げる」とは株価以外のところにもあることを申し述べておく。

「国際競争」とは何か。
諸君等がいう国際競争とは「自由な経済活動が国家の富をもたらす」と言う新自由主義の源流である
古典派経済学の学説をアリバイとした単なる個々の企業間での利益競争にしかすぎないではないか。
本当の国際競争とは、自国を大本とし、企業としての品位・品格をも兼ね備えたうえでの競争であるべきはずである。
日本一・世界一の収益を誇るだけの企業ではなく、日本一・世界一の品位・品格をも兼ね誇る企業を目指すべきである。

「規制緩和」とは何か。
諸君等がいう規制緩和とは、己の金儲けの為に邪魔な物(者)を排除するシステムにすぎないではないか。
モラルの規制までをも緩和する事ではない筈である。

「コスト削減」とは何か。
諸君等が行っているコスト削減とは、無駄な物(者)を残し、
本当に必要な物(者)を削って目先の利益のみを追求している様にしか見受けられない。
その末路が一連の企業の不祥事へと結びついてしまっているのではないのか。

「顧客満足」とは何か。
諸君等がいう口先だけの顧客満足というまやかしと引替えに勤労者は虐げられ、
顧客満足という美名の下に己のとめどない欲望を満たさせているだけではないのか。
皆が幸せになるべき経営は何処へ行ったのだ。
我々は平等・公平にパンを分け与えられているだろうか。一部の者達がパンを奪い去ってはいないだろうか。
一時期の「伊弉諾景気」越えの好況の実感も一般庶民にはまったく無く、生活の向上にはなんら寄与するところが無かった。
その利益は何処へ行ったのだ。
株主配当・役員報酬に吸い上げられ末端の勤労者には還元される事はなく、内部留保に回されたのではないか。

また、成果主義の名の下に現場では技術の継承が行われていない。
それは何を意味するのか。
首切りに怯えながら働く勤労者にとって、成果主義とは共に働く同僚は仲間ではなく敵(ライバル)となるからである。
如何に相手を蹴落とすかを考え始めるからだ。
諸君等はそれが競争に繋がり利益になるという。
しかし諸君等は己の首を己の手で絞めている事に気付かねばならない。
このままでは諸君等自身も何れ窒息死する事になる。
勤労者は首切りで即死。経営者は窒息死。共倒れになる事は明白であろう。
株主、経営者、設備があっても、そこで働く勤労者がいなければ、生産は上がらず、利益どころか企業そのものが倒れる事になる。
その道理を熟考されたし。

更に、今般においては企業のコンプライアンスだのコーポレートガバナンスだの社会的責任だのと美辞麗句が並ぶが、
元々我国の企業・経営者・勤労者にとって、
この様な理念は我国本来の歴史・伝統・文化の中で自然と育まれて来た理念であったはずである。
しかし、米国製の経済システム・経営システムを一部の国賊が讃美し、
その妥当性をなんら吟味することなく直輸入するという暴挙に出た。
挙句、日本的経営は破壊され、道徳観・倫理観は喪失させられた結果となり、
苦し紛れにこの様な美辞麗句を言葉にしなければならない状況をつくりあげてしまったのではないか。
裏を返せば米国製の経済・経営システムとは根本において、この様な道徳観・倫理観は持ち合わせていないという事である。
政界・官界・財界にはそれと同様の国賊が少なからず存在する。
そして内部告発も珍しいものではなくなって来た昨今、それは勤労者達の不安や不平不満が限界に達している証ではないか。
諸君等には国民(勤労者)の心の叫び、憂いの叫びによく耳を傾けていただきたい。
このままでは諸君等(企業)そのものが滅亡の道をたどる事になるのは明白である。
そして、それが日本そのものの滅亡を招く事に直結することは言うまでも無いであろう。
国民・国家を蔑ろにする権力は必ず亡びる運命にあるという。
諸君等は心底まで腐ってしまったのか。
このままでは我国の繁栄の礎を築いてくれた先人(創業者)達に顔向け出来様はずがないではないか。
先人達の想いに報いる為にも諸君等が真の日本を誇り、護り、築き、そして継承していかなければならない。
「創業は易く守成は難し」である。
それ故に我々は諸君等への期待と希望を捨てないのである。

我々が要望する事は唯一つ。
米国製の略奪資本主義から脱却し、日本的経営をもう一度見つめ直し、
誠の経済・誠の経営、愛のある経済・愛のある経営を復活させることを求めるものである。

「利を見ては義を思ふ」を深く胸に刻んでいただきたい。


誇り高き日本人たれ!

我日本に栄光あれ!

天皇陛下万歳!


財界人諸君が目覚めることを熱望す。


更に、財界総理とまで云われる経団連会長に物申す。


貴殿が会長を務めるキャノンで偽装請負が明るみに出たその時、
己が犯した身でありながら「制度に無理があるから法を見直すべきだ」と開き直る傲慢無礼に始まり、
大分キャノン関連施設工事を巡る一連の裏金・脱税事件に於いて
大半の裏金が御手洗会長の周辺にながれていた事は周知の事実であるにも拘らず、「知らぬ、存ぜぬ」と居直る利己的振舞、
その一部の裏金がキャノンの株へと化けるカラクリ。
そしてこの様な不正・腐敗を隠蔽する為の広告費という名の口封じ策戦を展開し、
献金という名の手懐料で政治・政党の大口顧客と成りすまし政治が企業の傀儡と化し暴利を貪る現実。


拝金至上主義経営者は去れ!


堕落しきった御手洗冨士夫会長の辞任をここに要求す。



平成二十一年 三月二十三日

日本経済団体連合会会長 御手洗冨士夫殿

日本民族派団体 一水会






詳細につきましては、レコンキスタ359号で報告します。